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馬頭神考[日記] 2017/02/27

このところずっと引っかかっていることがある。
江戸時代、馬を一番必要としたのは誰だったか?という問題。

東京の被差別部落というサイトのなかに<猿飼>の項目があり、
おなじ大道芸をするにも<乞胸>(ごうむね)のように非人頭に属するのではなく、直接弾左衛門の支配下にあったとされている。

今日的な目でみれば、初午も獅子舞も猿廻しも同じように観がちであるが、
支配階級である武士にとっては格別なものであったのであろう。
馬が農耕や運搬にも使われたのは勿論だが、支配層としての武家は乗り料としてだけでなく、
家門格式を守る意味でも常に整えておかねばならぬものだったであろうから。

手許に残る厩を守るといわれている絵馬や御札をみると、
無条件に東北の農耕民を、遠野の曲り家のような所に使われているのを想像してしまうが、
同じ農人であったとしても、武家の馬を育てる任を持した一群がいてもいい筈で、
彼らとて、いや、彼らの方こそその任を全うするため通常の農民より篤く神仏に馬の加護を願ったのではなかろうか。

蒼前様のように馬に乗った御神体でなく、馬自身が束帯姿で神の形をとっている。
加えて、膝前の彫りは徳利に神酒口飾りが挿してある、しかも一対。
(ということは、この馬頭神がこれ単体で祭られたことを示す)
今まで見たことのない、馬ノ神のお姿。

権力の権化=武家の馬、を育てている厩であればこのような神を祀ったのではなかろうか?
というお話し。